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とある会社員の生活記録。

「日本と外国」問題において「外国」という広すぎる主語について、狭い観点から語ってみる。

広すぎる主語とは何だろうか?
Twitterとかを見ていると「これだから日本は駄目、外国の方がいい。」といった趣旨の話を時折見かけます。
ここでは日本の政治が悪いとか教育が悪いとかそんな事を論争するつもりではなくて、問題は「外国の方がいい」の部分です。
一体、これを言っている人たちの外国の概念とはなんでしょうか?外国らしさとは何なのだろうか?

「外国」とは、基本的に、ある人から見て、自国(母国)以外の、よその国のことである。

これはウィキペデアからの引用ですが、つまり日本以外の全ての国だと解釈できます。
つまり、「日本の教育は駄目、外国の教育を見習え。」っていう言葉も「日本の教育は駄目、南スーダンの教育を見習え。」と置き換えることも可能です。
何故なら「外国」という言葉の中に「南スーダン」という意味も含まれているからです。(ちなみに南スーダンを引き合いに出した理由は識字率が最下位だからです。特に深い意味はありませんので悪しからず。)
同じく、「これだから日本人男性は駄目、外人の方がいい。」
これも同じように「外人」の部分が広すぎて、日本人男性以外の、どの国の男性でも当てはめる事ができます。
特に、「日本はくそだから海外住みたい。」とか言うやつ。 ならシリアらへんの紛争地帯にでも住んでみてはどうでしょうか?そこも海外ですよって言いたい。
これ以外にも「日本と外国」という比較を沢山見かけました。(ex.日本政治と外国政治、日本のマスコミと外国マスコミ)

ただこれらの事柄は「外国」や「海外」という言葉の前後に、その人の固定観念もしくは価値基準軸みたいなものが隠されていると感じます。
「日本はくそだから海外住みたい。」これもきちんと置き換えれば「日本は広い土地がなく自分は広い草原の大自然に囲まれた場所で暮らしたいという価値観に合わなくて、くそなので、ロシアの大草原地帯に住みたい。」と置き換えることができます。 こう置き換えるとその人の固定観念や価値基準が理解出来て、きちんと物事を伝える事ができます。

じゃあこれから「外国」という言葉の広すぎる主語をきちんと定義しろって事なのか、と聞かれるとそうではありません。例えば「これだから日本人男性は駄目、外人の方がいい。」とかもきちんと「外人」の部分を「イギリス人でジェントルマンでスラッとした人」って置き換えても良いです。が、その言葉を発する人の持つ固定観念や価値基準を説明するのが難しくて一言で「外人」で纏められているのだと思います。

「日本はくそだから海外住みたい。」この言葉もその人が発した価値観や固定観念を表す言葉が「海外」だと思います。
この場合の人々が持つ「海外」の意味合いは、海が綺麗なところとか、 町並みが綺麗なところとか、歴史的価値が大きいところとか、色々あると思います。ただ、それをこの言葉を受けた側がどのように解釈するかはわかりません。別に「外国」とか「海外」っていう言葉が悪いのではないと思います。独り言でつぶやくときに「海外いきてえな」とか友人同士で話し合っているときはきっと「外国」とか「海外」の共通の概念が友人間で形成されているからしっかりと意味が伝わるからです。しかし、本当にしっかりと物事を伝えたい時には広すぎる主語は使うべきでは無いという話でした。(完)

PS「海外行きたい」